脱出の日って何?

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脱出の日
というのは、本当にあるのでしょうか?

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脱出の日とは?

脱出の日という記念日があります。

フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトが、
1815年の2月26日に流刑地のイタリアのエルバ島から
脱出してパリに向かったことから、
2月26日脱出の日としました。


ナポレオンは1000人の兵士と共に
パリに向かい、
大きな抵抗を受けることなく
国民の歓迎を受け、
再び皇帝の座に就きました。

その後、再び退位に追い込まれ、
今度は、エルバ島以上に
脱出困難なセントヘレナ島
流刑にされました。

そこでナポレオンは生涯を終えています。


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ナポレオンの生涯

1769年、フランス領のコルシカ島に生まれました。

その当時のフランスは、
フランス革命
王党政権がひっくり返った
所でした。

軍学校で、当時の花形と言われる騎兵学でなく
大砲学
学んだナポレオン

得意の大砲戦術
王党支持派クーデターを起こしたのを
見事くいとめました。

更に、翌年のイタリア遠征でも
ナポレオンは、
大活躍で勝利をもたらし
英雄として
知られるようになりました。

その後のナポレオンは、
エジプトに遠征しますが
この遠征では、
ナポレオンは苦戦を強いられることに
なります。

しかし、
フランスでの政情が揺らぐのを察すると
すぐにフランス本土に戻り

なんと、クーデターを起こし
ナポレオンの独裁政権をつくりあげます。

その政権では
フランス銀行ナポレオン法典
制定します。

そして、に打って出て、
戦いに勝利を重ねていきます。

1800年にマレンゴの戦いで、
イタリアに進行してオーストリアを撃破。

更に、アウステルリッツの戦いでも勝利。

そして1807年にはプロイセン・ロシア
アイラウでの戦いで勝利します。

いつまでも続くかに思えた
ナポレオンの快進撃
やがて衰えが見えてきます。

スペインへの侵略1808年から開始していきますが、

これにスペインの民衆は立ち上がり、
ゲリラ戦を展開ナポレオンを苦しめ、
結局これを鎮圧することはできませんでした。

そして、ロシア遠征大失敗がありました。

ナポレオンの軍まともに戦っても勝てぬと踏んだロシア軍
広大なロシアの土地を利用して、

まともにぶつかり合わず、ナポレオン軍ロシア内部へと
誘導していき、持久戦に持ち込みます。

食料不足と寒さに苦められたナポレオン軍
60万~70万の兵で出発しましたが、

パリに生きて帰ってこれたのは数千か、数百人だったと言われています。

これにより失脚した
ナポレオンは、
エルバ島に島流しに遇います。

このあと脱出し、

パリに戻り皇帝に返り咲いますが、

すぐにイギリス、オランダ、プロイセンらの連合軍
ワーテルローの戦いで敗れてしまいます。

そして、ナポレオン南太平洋のセントヘレナ島へ流されてしまいます。

この地で1821年に病死します。



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